東京都北区にある、有限会社清田製作所様を見学してきた。
代表の清田茂男さんは80過ぎのおじいちゃん。
昭和38年に創業し、今ではコンタクトプローブを開発製造している町工場なのだが、まずその納入先に驚く。
大手家電メーカーをはじめ、半導体や自動車メーカまで直に納めている。
機械ではなく手で0.1ミクロンのプローブまで作るというのだから、その技術とアイデアはすごい。
大手で手に負えない物づくりを全国から依頼される。
工場内には特に最新の設備はない、社長の持論に
「機械に頼る技術は簡単に真似されるが、手に付いた技術はそうそう真似できない」というのがあるからだ。
誰にも作れない物を作っているから、自然と特許の数が30を超えたそうだ。
こんな逸話を話してくれた。
松下がホームステレオ開発で他メーカーに後れを取っていた頃。
松下幸之助氏の命令で各地より優秀な技術者を集め、「半年後には新商品を発売する」とプレス発表をした時があった。
しかし、発売まであと一ヶ月に迫ったにも関わらず、性能がまったく出ない。
レコードに針を落とすと、モノの数秒で壊れてしまうと言うのだ。
その頃レコード針の受注をしていた清田製作所は、松下からのクレームがで、「壊れてしまうのは清田製作所のせいだ!なんとかしろっ」と開発担当に怒鳴られた。
しかし、明らかに原因は松下の設計ミス。
結局はその担当者も清田製作所に頭を下げ、設計変更した図面で作り直すことに。
そこで清田社長は動いた。
三日間徹夜をし、変更された針を作り上げた。
何とか発売日に間に合ったホームステレオ。
その後、松下幸之助氏から別荘へ招待が来たが、丁重にお断りしたそうだ。(笑)
そんな清田社長は、決して傲慢ではなく、とても謙虚な方。
相手が誰であれ、まず話を良く聞く。
みどりかわへも「木型屋さんは大変でしょう」と声をかけてくれる。
そして奥さんへの感謝の態度がすばらしい。
「私が好きなことをやれるのは、この奥さんのお陰ですから」と奥さんの目の前で言う。
従業員の方も社長を慕って30年以上勤めている人達が多い。
愛だね。 これはものすごい愛だと思う。
そして口癖は「やってたら出来ちゃった」。
誰もがお手上げ状態の要求を、様々な切り口で応えていく。
先ほどの0.1ミクロンのプローブが出来たのは、冷蔵庫にあったニンジンが要だそうだ。
大根じゃダメだったって。
もう、物づくりを楽しんで居るどころか、シャブリ尽くしている感じがした。
こういう大先輩が日本の技術を支えてきた。
これからそれを受け継ぐものがどれだけ近づけるのか・・・
とても心配ではあるが、清田社長のような方が現役でおられるうちに話が出来たことで、そのDNAは少しだが日本の物づくりに広まっていくだろう。
これからも町工場のあこがれとして我々を引っ張っていってほしいと思った工場見学だった。
愛っていいね~
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