5月11日の朝刊2誌に、技者王国が載った。
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さらには、毎日新聞の記事を元に辰巳渚さんがコラムを書かれている。
その中で、
業界よりやや狭く、会社よりも広い「工業団地」を統合しようとする試みだ。けっして目新しいものではないが、主導している企業の社長のインタビューなどを読むと、時間をかけて工業団地のこと、業界のこと全体を考えている様子がうかがえる。無私の人ではなく「自分の木」と「森に生えているそれぞれの木々」とを同列に考えられる視点をもった人ではないだろうか。私はこの一企業をどうこう評価したいわけではなく、このような個人が散発でも現れはじめ成果をあげはじめることを願っているのである。
と書かれている。
ミナロのサイトをみてくれたのだろう、さすが的を射た意見だ。
こういった事がわかってくれるジャーナリストが居ることは非常にありがたい。
それは、辰巳さんの使わてれる「木と森」の関係で言えば、金沢産業団地内の一本の木から森を見ることは無理だ。
森の奥深くにある一本の木は、森全体の大きさや本数さえ知らない。
理由はこの森が人工的に作られた森だからだ。
この地区は20年前、すでに立派に育っている木を選んで植えられた。
森の中に栄養は必要なかった。
隣の木がどんな種類だろうが、自分は問題なく成長できたのだ。
ところが時代が変わり、栄養が行き渡らなくなった木は枯れていく。
中には組合という縄で縛られた木々たちもある、その中の一本の大木が枯れることにより、縛られた他の木が共倒れしてしまう。
歯抜けになった森は惨めだ。
ゴミがたまり、資産価値が下がる。
木々たちが自分は森の一部なんだと認識すれば、近くに栄養をもらえる、または消化を手伝ってくれる木があることに気が付ける。
すると、自分に適したちょうど良い栄養が無くなり、成分の違う栄養や有り余る栄養が目の前に出てきたとき、森であれば消化できるのだ。
必要な栄養は自分で採取して、消化できない残りを他の木へとわけられる。
しかしながら一本の木から森は見えない。
いったん外部から客観的にみる事が必要だ。
新聞記事になり、ヨコハマ金沢産業団地「技者王国」を初めて知る団地内の人もいる。
こうした外部からの目になるためには、新聞に載ることは非常に有効だ。
この新聞記事が多くの団地内企業の目にとまること期待する。