安倍内閣が出来てからもう3週間。
安倍内閣メールマガジン第2号が届いた。
そのなかに、
[この人に聞きたい]
● ある日突然、専業主婦から社長へ
―ものづくり、人づくりへのチャレンジ―(小松ばね工業社長 小松節子)
という記事があった。
(バックナンバーがまだ公開されていないので引用する)
[この人に聞きたい]
● ある日突然、専業主婦から社長へ
―ものづくり、人づくりへのチャレンジ―(小松ばね工業社長 小松節子)
ある日、セミナーに参加した私の心は緊張した。
会社がつぶれた時の責任は「社長ただ一人」にある 「銀行印を持っている人が社長だ」 経営セミナーでコンサルタントの檄がとんだ。
あれから、20年ほどの月日が流れた。
父・小松謙一は1941年東京大田区にばねの専門メーカーを創業。以来、精密スプリングの製造販売を手がけてきた。
1980年、父が急逝し、その後株式の相続をした私は、名前だけでいいから、座っているだけでいいからと言われ、84年に社長に選任された。
私は子供のころよりクラシックバレエに専念し、専業主婦となった。父の死亡により会社の中も私生活でも大変化が起きた。専業主婦歴19年で会社勤めもしたことの無い私は、周囲から言われるとおりに社内の動き、経営状況を眺めていた。
ところが、6年後業績は赤字に転落した。日頃から役員の行動に疑問を感じていた私は「このままでは会社は潰れる。人に任せ自分が何もしないで最後の責任を社長ただ一人が取るのはおかしい」と気が付いた。全力で経営をしてだめなら責任を取り、諦める。責任を取ることはすべてを失うことでもある。強い決意と責任感のもとで会社経営を覚悟し、私の新たなチャレンジが始まった。
経営計画書を作成し、様々な批判も聞こえたが、お客様第一主義の方針を実践した。製造面では先代から受け継いだ技術を線経30μの「超精密ばね」へと高め、販売促進面ではアリのキャラクターを作り、小さなアリの世界をキャッチフレーズに表現し「小さな世界の大きな驚き」と楽しさも取り入れた。
89年、多くの中小企業の海外進出が加速する中、当社は秋田工場を新設、97年には将来を考え、小さくとも海外進出をしておかなければ国内でも生き残れないとの考えで、インドネシア工場を開設した。
事業経営をしていく上で、国内工場も、海外工場も「ものづくりは人づくり」であると実感している。社員には、ばね技術はもとより、人としての常識、思いやり、責任感、気配りの出来る感性豊かな社員に育ってほしいと願
っている。
私の経営者としての使命は、美しいバランスシートを完成させることとお客様への感謝の気持ち、社員への思いやりを忘れることなく、人間を磨き続け、この気持ちを次の後継者へ引き継ぐことである。あらゆる覚悟をもって、
努力を惜しまず前進しなければ当社の未来はないと思う。
※ 執筆者の紹介
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2006/komatsu.html
言われるままに社長となり、業績悪化。
仕事のことは何もわからないとしても、倒産したらしすべての責任は社長一人に掛かってくる。
そうなる前にそのことに気がつき、手を打てたことはすばらしい。
きっと小松さんを奮い立たせるなにかがあったのだろう。
「お客様第一主義」をスローガンにし、「線経30μ超精密ばね」への技術的挑戦。
「アリのキャラクター」によるブランディングと、良い会社、伸びる会社の見本の様だ。
しかしこれらだって実は小松さん一人の力だけでは出来ないはず。
陰で支えた縁の下の力持ちが居るはずだ。
なのに倒産したとしても、成功したとしても社長一人だけがクローズアップされてしまう。
組織である以上仕方のないことではあるが、できれば個人より集団、社長より会社が取り上げられるような組織でいたい。
それとこの先、小松ばね工業は良い会社の見本として後継者をどうしていくのかも見てみたい。
世耕弘成さん、ミナロも載せてよ w